257 :てみた:2008/11/25(火) 00:25:25
1.


 いつもと違うリング、いつもと違う観客に、自然と気が引き締まる思いで、千里は試合開始のゴングを聞いた。
 強くなる為、社長に無理を言って渡ったアメリカの地での試合。
 海外での試合を経験すれば強くなれると思ったわけでも、日本での試合に不満があったわけでもない。
 現在、千里が所属している団体では、初期に団体を支えたエースが、年齢や怪我を理由に一気に抜けて、まだメインイベンターとしての試合を経験した事の無い千里が、繰り上がってエースの座に着いたという経緯がある。
 新人の頃から、何かと良くしてもらった先輩たちから後を頼まれた時は、光栄に思う気持ちと一緒に、本当に自分でいいのかという思いで、足の震えが止まらなかった。
 それから先、何度か試合に出たが、こんな不安を抱えている自分がいい戦いを出来る訳が無い、そんな思いが晴れる事は無かった。
 実際は、これまで着実に力をつけてきた千里の実力は、引退した先輩たちに劣るものではなく、深い悩みを抱えていても、長い下積みで身に付けられた技は、的確に対戦相手の体を捉え続けた。
 結果として、その試合に不満を持つ者は誰もいなかったが、誰からも文句が出ないことが、千里の悩みを更に深いものにしていた。
 気を使ってくれている。最近では、後輩から話しかけられる事も増えて、社長も何かとジムに来ては、試合の内容を褒めてくれるようになった。
 少し前までは、少しでも練習に身が入っていなければ、厳しく叱ってくれたのに。こんな、身の入らない状態の自分のどこに、褒めるような所があるのだろうか。
 それが、これまで千里がやらなくても良かった、色々なイベントへの参加や写真集撮影といった、慣れない事をして疲れている千里への、周りからの労わりなのだという事を、気付けるほど器用な性格ではないのが、千里の一番の不幸だったのだろう。
 周りも、千里の様子がおかしい事には気付いていたが、千里が周りに作っていた壁のせいで、あまり深く踏み込めないでいた。試合では、いつも通りの冷静な試合運びで勝利を勝ち取っていたので、少し疲れているだけなのだろうと、軽く見ているせいでもあったが。
 そんな、表面上は上手くいっているが、内側に問題を抱えたまま、何ヶ月か経ったある日。
 千里から社長に、珍しく話したいことがあると、畏まった顔でオフィスへとやってきた。
 選手が減って大変な時期に、言いにくい事ではあったが、強くなると言う千里の目的にとって、今の状態はいいとは言えない。
 そして、今まで抱えていた悩みを全て打ち明け、これまでずっと考えていた事を相談した。

258 :てみた:2008/11/25(火) 00:27:57
2.


「ふっ!!」
 2ヶ月の期限こそ付けられたが、海外に渡った千里は、本人の想像以上に調子よく、勝利を重ねていた。
「こんなものなの……?」
 まだ、自分の強さに対して感じた疑問への答えは出ていなかったが、実力者として知られる選手たちが自分の拳でマットに沈む姿に、これまで感じた事のない、ぞわぞわとした気持ち良さを感じるようにもなっていた。
「…………大した事、無いわ」
 自分に言い聞かせるように、口の中だけで呟いて、今倒した相手を見下ろす。
「あ……ぅ……ぐ……」
 みっともなく口を開いて、自分の体を抱きしめながら苦悶に呻く姿は、とても惨めに見える。
「だらしない……試合前は、あんなに威勢が良かったのに」
 厳しい言葉だったが、その言葉をぶつけている唇の端が歪むのを、千里自信も気付けないでいた。
 試合内容も酷いもので、組み付こうと近付いてくる相手の足にローキックを1発。ふらついた所にミドル、裏拳。その後は何度か反撃も受けたが、最初のダメージはやはり大きかった。
 打撃ばかりに目が向いてしまうが、比較的何でもこなす器用さで、細かく対戦相手を痛めつけて、痛みで集中力が切れたところを、切って落とすハイキック。これで、相手は立ち上がれない。
 流血こそ無いものの、体中に痣を作った相手の姿は、千里の打撃の威力をこれ以上無い形で証明してくれている。
「まあ、いいわ……次はもっと、まともな相手を用意するように言って……」
 素っ気無く、勝ち名乗りを上げるとリングを降りて、ブーイングの中を引き上げる。
 こうして、周りから敵意をぶつけられると、不思議とヒールのような気持ちになるから不思議だ。相手の戦意が萎えてもなお、攻撃を止めず、顔色一つ変えずに叩きのめす姿は、ヒールそのものだったが、試合中に鏡を見る機会があるわけもない。よそ者が大きな顔をしていて、気に入らないからブーイングが起きるくらいに思っていた。
「随分、活躍しているようね」
 ライトでまぶしいくらいだったリングから降りて、薄暗い通路に入った所で、不意にかけられた声に足が止まる。
「ええ、おかげさまで」
 もう少し、気圧されるかと思っていたが、口から出た言葉は普段どおりの涼しい口調で、それには、言葉を出した千里がびっくりしてしまう。
「そう、貴女がうちで戦いたいと聞いたときは、耳を疑ったものだけど」
 声の主は、千里が海外に行きたいと言い出した理由であり、今回の遠征における最大の標的でもあった。
 クリス・モーガン。強さを追い求める千里にとって、今現在、最も分かりやすい「強さ」を持つレスラー。
「……より強い相手と戦いたい、それじゃあ、いけませんか?」
「いいえ、別に構わないわ……ただ……」
 千里とは頭一つ近く違う長身と、威圧するような迫力が、手を伸ばせば届きそうな位置にある。
「……ただ?」
 どう戦えば勝てるか、そればかりを考えながら、モーガンの言葉で引っ掛かりを覚えた部分を繰り返す。
「運が悪かったわね……いいえ、時期が悪かった、とでも言うべきかしら」
 モーガンの試合は今日の最後。この後のはずだが、暗くてよく見えないものの、その体にいくつもの痣や傷痕が見える。ファンデーションで目立たないように隠してこそいるが、それでも随分と痛々しい。
「どうしたんですか……それ……」
 どこかで試合をしてきたと見るのが一番だが、それにしては何かがおかしい。何が、というのは分からないが。とにかく、違和感を感じる。
「…………貴女が次の試合に勝てば、私が相手をするしかないでしょうね」
 千里の疑問には答えずに、それだけ言うと千里に背を向ける。
「っ……本当に!?」
 だが、千里は、戦うのが目的ではあったが、まさか本当に試合が出来るとは思っていなかった相手から、条件付とは言え試合の話が出た。驚きに、これまで感じていた疑問が全て吹き飛んでしまう。
「ええ、他に、相手が出来る選手はいないでしょうから……あれに勝てるのだとしたら、だけど」
 最後は、千里から離れた場所で、聞こえないように呟いて、試合に向かう。
 残された千里は、今聞いたことが信じられないといった様子で、呆然と立ち尽くしていた。

259 :てみた:2008/11/25(火) 00:30:51
3.


 満員の観客を背に、ロープに持たれて気持ちを落ち着かせる。叩きつけるようなブーイングも、今では慣れたものだ。
 これに勝てば、目的が果たせる。世界でも有数の強豪と戦えるのが嬉しい、というわけではなく、あくまで自分の力を確かめる事ができると言う喜びだ。
 超えるべき、先輩と言う壁が、いきなり消えてしまって、先頭に立たされてしまったせいで、強くなった実感を得られないことによる不満が溜まった結果だった。
「これに勝てば……はっきりする……」
 明らかに、強い相手に勝つ。今の鬱屈した気持ちを振り払うには、クリス・モーガンくらいの相手に勝つ他無いと思う。勝てるという確信は当然無いし、勝ち目も決して多くは無いが、確実に負けるとも思っていない。
「まずは、勝たなくちゃ……」
 ブーイングが鳴り止み、静かになると共に、静かなざわめきが、遠くから広がってくる。
「……何?」
 目を凝らしてよく見てみると、一人の、派手なメイクをしたレスラーがこちらに向かって歩いてくる所だった。これが、今日の対戦相手なのだと分かるが、何かおかしい。奇妙な違和感を感じる。
 それは、相手との距離が近くなればなるほど強くなり、何度か目をこすって確かめてしまうくらいだ。
(デッサンが狂ってる……?)
 おかしな事を言ってる自覚はあるが、そうとしか言い表せない。そして、その疑問の正体は、対戦相手の手がロープを掴んだ時に、はっきりと分かった。
「何て……大きさ……」
 クリス・モーガンも大きかったが、それよりも更に大きい。
「………ぃ…しょっ」
 トップロープを、冗談のように歪ませて、そこを乗り越えてリングに入ってくる姿は、とても同性とは思えなかった。
(ウェイトで1.5……もっとあるかも)
 特別小柄でもなければ、大柄でもない千里と比べると、目の前の相手の体は圧倒的で、頭1つ以上の身長差と、大人と子供ほどもありそうなウェイト差に、足がすくみそうになる。
 得体の知れない相手という辺りが、恐怖を煽るのか、実際の身長以上に大きく、力強く見えて、気圧されそう。
「でも……どんなに大きくたって、関係ありません」
 千里が得意とするのは、幸いな事に打撃。それも、一撃必殺の蹴り技だ。
「急所に一発、それで……おしまい」
 自分に言い聞かせるように呟きながら、握り締めた拳の中で、掌がじっとりと汗ばむのを感じる。
 対戦相手は、濃いメイクのせいで何を考えているのか分からないが、未だに無言のまま、何も喋ろうとしない。それが何より不気味だった。
「………………」
「よろしく、お願いします……」
 何も言わない相手に声をかけると、手を差し出そうか逡巡して、迷った挙句に手を引っ込められた。変に人間くさい所もあると、相手が得体の知れないモンスターではないと分かって安堵したが、間近で見上げると、その迫力は圧倒的だ。
「……………あなたが何者でも、負けませんから」
 どうせ無言だと分かっていても、少しの期待を込めて睨みつける。
 相手からは、困ったような、微妙な雰囲気が感じ取れるが、すぐに思い出したようにコーナーへと戻ってしまう。
 そして、何も喋らない相手の変わりなのか、この謎の選手の名前が、会場内に取り付けられた何台ものスピーカーから鳴り響く。
 地獄の生物兵器、「バイオモンスター」と言う物々しい名前が。

260 :てみた:2008/11/25(火) 00:32:33
4.


「行きます……っ!!」
 ゴングが鳴ると、素早く駆け出して、間合いを詰める。何が得意な相手なのか、どんな技を持っているのか、全てが謎だが、だからと言って尻込みする選択肢は無い。
 この狭いリングの上で、モンスターの射程から逃げ続けることは出来そうにも無いから、懐に潜り込むほうが安全だ。このモンスターに匹敵する巨体を持つ、クリス・モーガンとの対戦を想定して、戦い方を考えていたのも大きい。
「はぁっ!!」
 まずは、その巨体を支える足を崩す。特に、これだけの長身なら、バランスを取るのも大変だろうと、ローキックで思い切り蹴りつける。
「………ったぁぃ」
 小さな悲鳴が聞こえたような気がしたが、歓声にかき消されて、千里の耳には殆ど届かない。だが、目の前に柱のように聳え立つ体が揺らいだのは見えて、続けざまに足を蹴りつけ、掌底で体を打つ。どこに攻撃しても、外す事など有り得なさそうな巨体だが、本当に狙いたい場所には簡単には手が届きそうに無い。
 厚いメイクと鍔広の帽子で隠された顔は、手を伸ばせば届くが、そうすると隙だらけになってしまう位置にある。だから、足を痛めつけて、自分から頭を下げてくれるのを待つ。その判断は間違っていないと思っていた。
「どうしました……攻撃は……っ!!」
 モンスターからの攻撃が来ない事で、安心しきって攻撃していたが、視界の端に映ったモンスターの腕が、思い切り振り上げられている事に気付く。
 あまりに接近しすぎて、相手のスケールの大きさのせいで、全体が見えなかった。
 どんなに大きくても相手も人間だ、そんな馬鹿な大きさでは無いと、頭では思っていても、実際に、動きを見失っていた事は否定できない事実。
 そして、千里の頭の上から、「降って」くるハンマーパンチ。
「あっ……そんなもの……!!」
 動きは見失ってしまっていたが、大振り過ぎるほど大振りなテレフォンパンチだ。千里の目にはその動きは、しっかりと見えている。
 素早く腕を持ち上げつつ、体を捻って防御する。そして、その後は打撃を叩き込んでも、バランスを崩すであろうモンスターを投げ飛ばすでも、好きに料理すればいい。
 唯一つ、千里が見落としている事があるとすれば、それは、規格外すぎるモンスターの体格と、その見た目以上の、人知を超えた怪力の存在だった。
「っ……あっ……がっ!!」
 持ち上げて、ガードしたはずの腕を、なぜか見下ろしている。
 背中には、鋼鉄のハンマーでぶん殴られたような痛みが走り、肺から搾り出されるように空気を吐き出してしまった。
 自然と、目から涙が溢れ、体がふらつく。
「……………んっ!!」
 そこに、もう一撃、追い討ちが来た。
「っ……がはっ!!」
 倒れかけていたおかげで、最初の一撃に比べればマシだったが、マットの上に倒れて、みっともなく尻を突き上げた格好でダウン。千里はモンスターの何倍もの手数で攻撃を叩き込んだが、モンスターはそれをものともせずたった2発の攻撃で、千里をダウンさせてしまった。
「はっ……あぁ……っ」
 信じられない怪力だったが、千里の判断は早く、その場から逃げることを選んだ。
 捕まれば、終わる。あの怪力で投げ飛ばして、まさか、その威力が弱いわけが無い。
 出来るだけ遠く、逃げて体勢を立て直す。今はそれ以外に、負けない方法が思いつかなかった。
 プロレス的な考え方ではないが、あの攻撃を受けてはいけないと、頭が危険信号を発している。
「んっ……………しょ!!」
 頭の上で、風が唸る音がする。
 まさかと思って振り返ると、目の前、ほんの数cmの所を、巨大な靴底が通過して、マットを揺らした。
「ひっ………」
 後、半回転。逃げるのが遅れたら、この断頭台の刃の餌食になっていたのだと、気付いたときには背中に嫌な汗が伝い、試合中だと言うのに体温が下がりきってしまう。
「…………たぁぃ〜」
 また、モンスターの声が聞こえて、思わずふざけるなと怒鳴りたくなった。こんな攻撃が当たれば、「痛い」なんて程度じゃ済まないというのに、技を自爆したくらいでのん気な事を言うものだと。
「っ……くっ!!」
 モンスターが倒れたまま、起き上がらないうちに立ち上がると、命拾いしたばかりだからか、震える足を殴りつけて、しっかりと力を入れなおす。
(痛いっていう事は……効かない訳じゃないんだ……何発も入れればきっと)
 気が遠くなるような気分だが、他に打つ手は無い。千里には、得意の打撃以外に、このモンスターに通用しそうな技の心当たりは無かった。

261 :てみた:2008/11/25(火) 00:34:29
5.


 試合が始まって、20分ほど。
 勝負は、一方的な展開になっていた。
「はぁっ!!」
 今日何度目かのハイキックが、モンスターの体に突き刺さる。頭には届かないので、いつものように一撃必殺とはいかないが、体を揺らがせるくらいの効果はある。そうして出来た隙に裏拳やエルボーを叩き込んで、すぐに離れる。
 すると、今まで千里がいた場所を、張り手が薙ぐように通過した。
「っ……そんなものっ!!」
 当たるわけがないが、頬を撫でる突風に、避ける度に精神的に消耗させられる思いだ。
「ふっ!!」
 張り手で、前のめりにバランスを崩したモンスターの顔が、射程距離に入ってくる。絶好のチャンスに、千里の体は素早く反応して、ハイキックが吸い込まれるようにモンスターの頬を捉えた。
(……決まった)
 神経を磨り減らす戦いで、疲れていた体は、ぐらりと倒れるモンスターの体に安堵して、構えを解いて、緩みきってしまっていた。
 勝利を確信してもいい、完璧に打ち抜いた手応えがあった。
「うぅ……痛い……ですぅ……」
 人の体を蹴りつけた感触がまだ残る足に何かが絡み付いてくる感触。そして、どこか間の抜けた声は、紛れも無い、目の前でうずくまるモンスターから発せられている。
「っ………!!」
 投げ飛ばされる。こんな馬鹿力のモンスターに足を掴まれるなんて、生きた心地がしない。
 どうやって投げるのか、どんな技をかけられるのか、分からないが、この相手ならやっても不思議じゃないと言う確信があった。

262 :てみた:2008/11/25(火) 00:35:54
6.


「あ、喋っちゃ、いけないんでした……」
 恐怖に震える千里からすれば、怒りを通り越して呆れてしまうくらいの口調だったが、モンスターがのんびりしてくれるおかげで、反撃しなければいけないと、そう思う事ができた。
「ふざけ……ないでっ!!」
 目の前にある顔は、先ほどのハイキックで帽子が飛んでしまって、柔らかそうな長髪と、思っていたよりも穏やかそうな顔が見える。これまでは気がつかなかったが、その顔立ちや、時々上がっていた悲鳴からすると、日本人のように見える。
 モンスターの正体は気にならないわけではないが、今はそれよりも、足に絡みつく手を引き剥がしたい。掴まれていない足を振り上げ、とにかく、モンスターが何かする前に蹴り飛ばそうとする。
 ミシリ………
 不吉な音が、骨を伝って耳に入る。振り上げた足をそのままに、千里の体がぐらりと崩れ、尻餅をつくように倒れてしまった。
「え……あ……」
 何をされたのか、分からないし、モンスターは何もしていない。ただ、千里の足を掴んでいるだけだ。
「んっ…………!!」
 それだけのはずなのに、千里の足には焼け付くような痛みが走って、動かせない。モンスターが力を入れると、それだけで、激痛に目を見開いて歯を食いしばって耐えなくてはいけないほどだ。
 今まで受けたどんな関節技よりも得体が知れなくて、耐え難い。
 のそりと、モンスターがその巨体を動かすと、千里の足も一緒に持ち上げられ、尻餅をついていただけだった体が、仰向けに倒されてしまう。
「あっ……や……」
 やめろ、そう言う為に口を開くが、目の前にいる化け物の姿を見上げると、奥歯の付け根がかみ合わず、カチカチという音を立てて震えてしまう。巨体のレスラーなんて、鈍重なだけのただの的だという思いが、心のどこかにはあったが、今なら、体が大きいという事が、どれだけ恐ろしい武器なのかが良く分かる。
「やめ……て……」
 最後の言葉を言い終える前に、千里の体は持ち上げられて、頭が引き抜かれそうな力を感じる。
 ジャイアントスイング。「巨人の」とはよく言ったもので、このモンスターにこれほど似合う技もそうは無いだろう。
「ん…………しょっ……」
 軽々と振り回され、手が離されると、千里の体は冗談のように軽々と、投げ飛ばされてしまった。
「あぐっ……う…!?」
 自分がどこにいるのか、痛みに苦しみながら周囲を見回した千里の目に映ったのは、遠く、リングの上に立つモンスター。
 立ち上がろうとすると、体が何かに絡まって、動きを邪魔される。
「………嘘」
 自分が今、どこにいるのか、信じられないと言うよりは、冗談であってくれと、本気でそう思う。
 後ろから聞こえる苦しそうな声と、周囲のざわめきも、気のせいだと思ってしまいたい。
「こんなの……有り得ない……」
 無理やり、体を起こそうとして、そこで初めて全身を襲う痛みに気がつく。
「あぐっ……つっ……」
 リングの上から、観客席にまで飛ばされた。リングが少し高い位置に作られて、観客席の位置がリングに近かったと言っても、すぐに信じられる事ではない。
 全身を苛む激痛が、これが冗談でも夢でもない、リアルだという事を伝えてくる。
 今になって思えば、先日、モーガンを前に感じた違和感。その体に刻まれた痣は、人間と戦ったものにしては、おかしな形をしていた。
 指の形をした、「何か凄い力を持つ生き物に握りつぶされた」ような痕と、長身のモーガンを、上から叩き落すような攻撃で出来たであろう痣の数々。
 それを刻んだのがこのモンスターであるのは、間違いないだろう。
「はぁ……こんな……こんな事……」
 特大の人間に詰め込まれた、モンスターそのものの怪力。テクニックでもスピードでもなく、理不尽さで圧倒されてしまっている。
 リングに上がる勇気が起きないまま、ふらふらと、亀のような歩みを続ける千里の視界が、不意に暗く翳った。
「あ………」
 顔を上げると、黒い衣装に包まれた、大きな山が二つ。それに遮られて見えない顔は、どんな表情を浮かべているのか。
 間の抜けた声を上げた千里は、肩に熱くて重い痛みを受けて、直後に、硬いマットにキスをしてしまった。

263 :てみた:2008/11/25(火) 00:37:11
7.


 リングの上では、誰もが目を覆うような一方的な試合が行われていた。
「はっ……あっ……ひっ!!」
 立ち上がる度に、叩き潰されて、マットに這い蹲らされる千里。
 平手を受ければ、首が折れるのではないかと言うくらいに跳ね飛ばされ、ハンマーブローは確実に千里の体をマットに叩きつける。
 つい先ほどまでは、攻めていた筈の千里だったが、ほんの僅かな時間で逆転され、今では逃げ回るだけで精一杯。それも、すぐに捕まってしまうほど弱らされている。
「…………ん〜」
 それでも、止めをさせない事に、さすがのモンスターも唇を尖らせ、攻撃は更に苛烈になる。
「はぁ……くっ……」
 千里が体を起こすと、ハンマーブローが飛んでくると警戒していたのだが、何も来ない。
 不気味なほどに沈黙を守るモンスターが、見下ろしているだけだった。
(舐められてる……?)
 痛みで乱れた呼吸を強引に整えながら、モンスターを見上げるが、それでもまだ、何の攻撃も来ない。
(まだ……動ける……油断してる今なら……)
 構えなおして、必死に力を入れて、回し蹴り。足は上がらず、ミドルキックが精一杯だが、攻撃しないよりはずっとマシのはずだった。
「…………んっ!!」
 だが、振りぬいた足に、手応えは無い。モンスターも、小さな吐息を漏らすだけだ。
「あ…………」
 渾身の力だったと思ったが、実際はそうではなかった。力が入っておらず、ただでさえ頑丈なモンスターにとっては、撫でられたかのようなわずかな傷みでしかない。
「………………ちょっと、痛いですね〜」
 聞こえないとでも、思っているのだろうか。
 喋ってはいけないと、自分で言った筈なのに、緊張感の無い声を上げている。
「……ふざけないでっ!!」
 憤りの声は、想像以上に弱弱しく、泣き出しそうな声が出てしまった。理不尽すぎる力の差は、どんなに強がっても無視しきれない。
「ん〜……ふざけてなんて、いないんですけどね〜」
 モンスターの困った声も、ダメ押しでしかない。
 今にも決壊しそうな千里の心を、更に追い詰めていく。

264 :てみた:2008/11/25(火) 00:38:22
8.


「くっ……うぅ……」
 技らしい技を受けていないのに、動きが止まって、何も出来なくなってしまった。
 その姿は、勝ち目が無い事を知って、早く負けたいと、敗北を望んでいるようにも見えて、それを、咎める者は誰もいない。
 千里が勝てないのは仕方が無い、むしろ、よくここまで頑張ったと、同情的な雰囲気さえ感じさせる。
「……来ないなら、こちらから行きますよ〜?」
 心が認めていなくても、全身が敗北宣言をしているような状態なのに、耳に届いたのは信じられない言葉だった。
 こんな惨めで、みっともない醜態を晒している自分に、更なる攻撃をぶつけてくる。そんな事、あるはずがないと、どこかで高を括っていた。
「あっ……いやっ……ぐっ!!」
 胸元へのラリアット。それが、千里の体を軽々と跳ね飛ばす。
「がはっ……ごほっ……うぐ……」
 背中にロープが当たると、跳ね返されるようにふらついて、何歩か前に出る。そして、そこは既にモンスターの間合いの中。その領域に入った瞬間、千里の体に震えが走る。
 覆いかぶさってくる影に、本能的に体が逃げようとして、その結果として隙だらけ。
「…………とどめ、でしょうか〜?」
 腕が伸びてくると、何をされるのか、予想出来ない怪物の攻撃に、体が竦む。
「………覚悟、して下さいね〜」
「あっ………は……ああっ!!」
 モンスターの手が、千里の顔を覆うと、そのまま、無造作に持ち上げてしまった。
「ああああああああああああああっ!!」
 首がミチミチと悲鳴を上げて、苦しさに、頭を掴む手を引き剥がそうと必死に両手で抵抗する。
 だが、それも抵抗らしい抵抗にならず、持ち上げられたまま、実際は短くても、長い長い時間が過ぎた。
「んっ………………えぃっ!!」
 乱暴に、腕が振られて、投げ飛ばされる。一時の間、重力から開放され、千里の体は宙を舞った。
「あ………………っ!!」
「…………いきますよ〜」
 コーナーにぶつかって、長いようで短い空中旅行が終わると、目の前に飛び込んでくる巨体に目を見開く。
「いや………や……やだ……」
 駄々っ子のように、これが夢であって欲しいと、祈るような思いで、ただ、目の前のモンスターが振り上げた腕を見つめ、そして……
「………………えいっ♪」
 首を刈り取るようなラリアートに、リングの外に弾き飛ばされながら、意識を失ってしまった。
 受身が取れるはずも無く、危険な落ち方をした千里が目を覚ます事は当分無く、惨めに、叩き潰された姿が晒された。
 幸い、日本にはこの試合の詳しい部分は伝わらず、大多数のファンは、千里の無様な敗北の様子を知る事は無かった。
 この試合の影響ではないのかもしれないが、千里は予定よりも早く帰国して、日本のリングで、これまで以上に洗練された戦いを見せるようになった。
 まるで、モンスターとの戦いを綺麗さっぱり、忘れてしまったかのように。
 そして、誰もが、遠くアメリカの地で、千里が敗北した事を忘れてしまいそうになったある日、千里の所属団体に、他団体からレスラーが殴りこみにやってきた。
 たった一人で、しかし、そのたった一人に、所属レスラー全員が度肝を抜かれ、困惑してしまった。
「大空みぎりです〜、若輩者ですが、お手柔らかに〜♪」
 190cmを超える長身に、柔らかいウェーブのかかった長髪。
 何も考えていなさそうな緊張感の無い顔と、まるでその場の空気を気にしない様子は、体格以上に大物なのかもしれないとさえ思ってしまう。
 のんびりとした口調で挨拶する、大空みぎりと名乗った“モンスター”を前に、千里の表情は凍りつき、その足は震えてしまう。
「……どうかしましたぁ?」
 千里の顔を見ても、特別な反応は見せず、何も考えていないような口調で首を傾げるみぎり。
「何でも……無い……」
 その強がりが精一杯で、千里はそれきり、黙ってしまった。
「そうですか〜、それでは、これから短い間ですけど、よろしくお願いいたしますね〜」
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