283 :てみた:2008/11/27(木) 07:30:13
1.





「大空みぎりです〜、若輩者ですが、お手柔らかに〜♪」
 以前は派手なメイクでごまかしていたが、見間違えるはずの無い、特徴的な容姿の少女は、モンスターと名乗っていたときとは正反対の、可愛らしい格好が似合う、おっとりした娘だった。
 それでも、その体格は無視することが出来ない。でかいだけと言うにも、そのでかさが大問題だ。
「あの〜、どうしたんです?」
 呆気にとられた選手達を見回すと、みぎりは首を傾げて、何か間違ってしまったのかと困惑した表情を浮かべる。
 だが、誰も、みぎりのそんな様子を気にする者はいない。
 何もかもが未知数だが、唯一つ、体の大きさだけで全員の度肝を抜くこの選手と、誰が戦うのか、どんな試合をすればいいのか、全く想像が出来ない。
 いきなり、「今日の相手は男子レスラーだ」とでも言われたほうがまだ、戸惑いは少なかっただろう。
 みぎりがもっと高圧的に、見下すような態度を見せれば、対抗心が沸いてきたかもしれない。だが、必要以上にのんびりとしていて、腰が低いみぎりの姿は、無害な草食動物を思わせる。
「ああ、でも、お手柔らかにされちゃったら、試合にならないかもしれないですね〜、困りました〜」
 そう思ったそばから、これだ。
 しかも、本当に困っている様子だから、余計に困る。
「それに、これから〜。潰す予定の方達に、手を抜いてくださいって言うのも、おかしなはなしですよね〜」
 場の空気が一気に変わり、何の冗談か、困惑する者と、みぎりの挑発じみた物言いに、敵意を込めて睨みつけるものに、真っ二つに分かれてしまった。
「ん〜、さっきの言葉は、撤回しますね〜。皆さん、本気で来てくれるとありがたいです〜。そうじゃないと、勝負にならないでしょうから〜」
 でかいだけの、勘違いしたレスラー。調子に乗って、大きい事を言ってしまうだけの馬鹿。
 みぎりに対しての評価は、今の言葉で最低な所まで落ちて、今すぐここで、一戦やらかしても不思議ではないほどの険悪なムードが漂い始めた。

284 :てみた:2008/11/27(木) 07:31:20
2.


「…………くだらないわ」
 みぎりの言った事が、挑発ではなく本心から出たものであり、実際に、全力で戦っても倒すことが容易ではない選手だという事は、千里には嫌と言うほど分かっている。
 アメリカで戦ったバイオモンスターよりも、みぎりの腕や足は鍛えられて、引き締まっているように見えた。確実に、強くなっている。
 そんな事は、有り得ないと信じたいが、今この場にいる全員で、みぎりに襲い掛かっても、蹴散らされるような錯覚さえ感じてしまう。
「あの〜……」
 弱気になっている千里に、のんびりとした声がかかり、ただでさえ苦い顔をしていた千里の眉間に、深い皺が刻まれる。
「…………何?」
 自分で作り出した悪い雰囲気を、勝手にぶち壊して、話しかけてくるみぎりに、ぶっきらぼうな返事が出た。今更、仲良くできる相手じゃない。
「ひょっとして、何かおかしい事言っちゃいました〜?」
「っ……てんめぇっ!!」
 この期に及んで、まだそんな事を言うみぎりに、血気盛んな新人が一人、制止を振り切って飛び掛る。みぎりは、千里の目の前に着ていたから、千里の目には不意打ち気味に飛びかかる姿がはっきりと見えて、それに、みぎりは気付いていない。
 長いすを蹴って、飛び上がり、足を振り上げる姿は、千里の目から見ても、十分試合で通用する動きだった。
「あぅっ……!!」
 みぎりの後頭部に、勢いの付いた奇襲攻撃が命中する。
 だが、攻撃を仕掛けた側が、驚愕の表情を浮かべたまま、背中から、真っ逆さまに落ちてしまった。
「いてっ……っ!!」
「いたいぃ〜……」
 少しふらつきながら、みぎりは後頭部を抑えて、背後を振り返る。
 頭を思い切り、体重をかけて蹴りつけたはずなのに、倒れるどころかよろけもしない。ちょっと、上半身が揺れただけ。だから、跳ね返されてしまった。
 不意打ちで攻撃を仕掛けたほうが、床に倒れているというのは、まともな人間の思考回路ではちょっと、状況を上手く把握できない。みぎりが、古くから伝わる武術の達人で、何かしらの秘伝の技を使って返り討ちにしたとかなら、この業界では珍しい事ではない。だが、みぎりは、確実に攻撃を、レスラーとして戦えているのか不思議に思うほどの鈍さで、まともに食らっていた。
「暴力は〜、いけませんよ〜?」
 倒れた選手に、手を差し出すと、リングの上でもないのに酷い不意打ちをした相手に、手を差し出すなんてと、みぎりの意外な一面に、誰もが驚いた顔になって、その直後、絶句する。
「めっ……ですよ〜」
 差し出した手は、手や腕ではなく、顔を掴み、そのまま、無造作に持ち上げる。
 大きな手が覆ってしまっていて、表情は見えないが、激痛のあまり、みぎりの腕を掴んで、必死になって抵抗している。
「あ……やめ……」
「えい〜〜っ!!」
 千里の制止の声も、呆気にとられていた一瞬のせいで遅れ、片腕で、人の体が持ち上がる所を、見物する事になってしまった。
 グシャ…………メキ……
「えぐ………っ……!!」
 大勢の見守る中心。使い込まれたおんぼろの長いすの真ん中から、人間の足が生えている。
 硬い床ではなく、椅子の上に落とした辺り、みぎりにも良識があるのかもしれないが、今起きた事は大多数の人間の、常識では、有り得ないはずの事だった。
「力が……増してる……?」
 いきなりのフリーフォールを体験する事になった、哀れな新人は、長椅子の残骸に埋まりながら、ピクピクと、震えてしまっている。意識は、当然のように無い。それは、せめてもの幸運だった。少なくとも、今、意識があったら、まともではいられなかっただろうから。
「はい〜、沢山、鍛えてきましたよ〜」
 人一人投げ飛ばしておきながら、まだまだこんなものじゃないと、軽く力瘤を見せつつ、ちょっと自慢するように。
 だが、あまりに馬鹿げた怪力による、残虐な行いを見た直後では、みぎりの態度を咎められる者はいない。
「この前は〜、お恥ずかしい試合をしてしまいまして〜。あの後、色んな技も教わって、結構強くなりましたから……今度は、ちゃんとした技で倒しますね〜」
 試合と呼べるものではない、暴虐の限りを尽くしたモンスターが、あの時以上の力をつけてやってきた。
 そして、本人は気付いていないのだろうが、団体の所属選手全員の前で、一番強い選手に勝利宣言を行う。
 この時になってもまだ、みぎりがこれまでに口に出した言葉が、強がりや、ただの挑発だと思っている者はいない。
 やると言ったら、本当にやる。
 唯の一人として、敵討ちと言う気持ちさえ起きないまま、ただただ、みぎりとは絶対に戦いたくないと思っていた。
「ですから、よろしくおねがいしますね〜」

285 :てみた:2008/11/27(木) 07:32:23
3.


 試合が始まる前から、リングの上は変わった緊張感に満ちていた。
 殴りこんできた、経歴不詳の大女、大空みぎりの相手は、予定では中堅どころの選手が担当するはずだったのだが、控え室での出来事のせいもあって、急遽、対戦カードが変更された。
「他に、いないものね……」
 予定では、提携している海外団体から派遣されてきたレスラーとの試合が組まれていたのに、みぎりの相手に回されて、改めて、無茶苦茶さを痛感させられる。
 あの場にいたのは、今回の興行に参加する殆ど全員。その、居合わせた全員が、みぎりの頑丈さと怪力を目撃している。
 試合のカードを変えて欲しいと言う、みぎりのお願いに、異を唱えるものは誰もいない。誰も、拒否できないというほうが正しい。
「また、試合ができますね〜」
 隠して隠せるものではないが、みぎりは、自分が名前を変えて、顔を隠してアメリカのリングに上がっていた事を、隠すつもりはないらしい。プロレス雑誌のバックナンバーを調べると、割と最近にデビューしたばかりの新人とは書かれていたが、それ以前の経歴は載っていない。
「なぜ、私なの……?」
 モンスターには、手も足も出ないという表現がぴったりの、完敗を喫してしまっている。大空みぎりがそれよりも弱いなら、勝ち目も見えてくるが、本人の言葉を信じるなら、より強くなっているらしい。
 みぎりが、千里と戦いたがる理由など、どこにも思い当たらない。
「なぜ、ですか〜。難しいですね〜」
 対するみぎりは、尋ねられると困った顔で考え込む。この娘の事だから、深い考えは無かったのかもしれないと思ったが、考えるという事は何かあるのかもしれない。
「強いて言うなら……ちょっとでも、強い人を倒した方が、うちの社長が喜んでくれるからですね〜」
 どんなとんちんかんな答えが来るかと身構えていた所に、思ったよりも普通の答えが来て、軽く拍子抜けしてしまう。
「……それだけ?」
「はい〜、だから、勝たせて貰いますね〜」
 何の為に戦うのか、千里にとっては、何かの為に戦うという事は弱みを作る事であり、何も無いからこそ強くいられるという思いもある。今では、そういった考え方は薄れつつあったが。
「……そう簡単に、勝たせたりなんてしません……」
 自分が勝つとは、やっぱり言えない。だが、勝つしかない試合に、しっかりとみぎりを睨み付けたまま、腕を持ち上げて構える。
「この前は、随分苦しめられちゃいましたね〜」
 みぎりは、千里の目から見れば素人同然の、隙だらけの構え。以前よりは、経験を積んで、少しマシになったくらいだ。
「今度こそ、仕留めます……」
 構えを取ると、やっと、勝つという意思を言葉にして出す事ができた。
「楽しみです〜」
 みぎりに、緊張感が無いのはいつもの事だが、前に戦ったときよりも余裕のようなものを感じる。
「…………行きます」

286 :てみた:2008/11/27(木) 07:34:01
4.


 ゴングが鳴らされる。
 鐘の音を聞くと同時に、千里は前に大きく踏み込んで、先手必勝とばかりに、得意の蹴りを繰り出した。
「やぁっ!!」
 限界まで無駄の無い動きで近付いてのローキック。決まれば、みぎりの頑丈な足が相手でも、全く効かないはずがない、渾身の一撃だった。
 だが、それが届く前に、冗談のように長いリーチを持つみぎりの腕が伸びてきて、千里の頬を思い切り、張り飛ばしてしまった。
「あっ……ぐっ!!」
 蹴りで片足を持ち上げていたとは言え、平手一発で体の向きが180度変化して、みぎりに背を向ける体勢になる。下手に踏ん張っていたら、頭を吹き飛ばされていそうな馬鹿力だ。
「チャンスですね〜」
 千里の肩に、重たいものが圧し掛かってくるような圧力がかかり、腕が強制的にばんざいさせられるように持ち上げられる。
 そして、フルネルソンの体勢に固められて、そのままスープレックスで投げ落とされた。
「あっ……ぐぅっ!!」
 受身が取れず、高い位置から叩き落される一撃に、歯を食いしばって苦しそうに呻く。すぐに、逃げようとしたはずが、みぎりに掴まれた時点でどんなに暴れようとしても体が動かせず、簡単に投げられてしまった。
「これで終わりなんて、ヤですよ〜?」
 カウントが数えられる前に、みぎりは技を解いて千里を解放したが、頭を強く打った千里が起き上がるには、まだ少し時間がかかる。
「はぁ……っ………そんな余裕……見せて……」
 頭を抑えながら、起き上がる千里だったが、足に力が入らず、立ち上がるのも一苦労。見るからに危険な高さから、落とされたのではなく叩きつけられたのだから、こうして立ち上がれるだけでも凄い事だ。
「……見せてられるのも、今のうちだけ……っ!!」
 一時的に、頭を強く打った衝撃で平衡感覚が麻痺していただけで、まだまだ戦える。みぎりが攻撃してこないので、休む時間は十分にあった。
「流石です〜」
 ふらついていた時の千里に追撃をかければ、成す術も無いままに倒せていただろうが、みぎりにはまだ、試合を終わらせるつもりは無い。
「たっぷり時間をかけて、いい試合にしましょうね〜」

287 :てみた:2008/11/27(木) 07:36:08
5.


「はぁ……ふ………やぁっ!!」
「んっ……えいっ!!」
 千里のハイキックと、みぎりの張り手が、みぎりの方が少し遅れるくらいの時間差で、互いの体に叩き込まれる。
「はぁ……ぐっ!!」
 千里の頬は、左側が腫れあがり、唇の端には唇を切ったのか、血が滲んでいる。
「ふぅ……痛いです〜」
 みぎりも、何度も攻撃を受けて、コスチュームに綻びが出来て、体にも幾筋もの擦り傷や蚯蚓腫れ、痣が刻まれている。どれも、千里の打撃によるものだ。
「いい加減に、倒れて……っ!!」
 気が抜けた攻撃では、みぎりの尋常ではない頑丈さに阻まれてしまって通用しない。それでいて、今のみぎりはとろくさくて、力だけの素人レスラーではなく、しっかりこっちの動きに反応できる、一端のレスラーとしての技量を持ち合わせていた。
 下手に手を出せば、攻撃を体で受け止めて、怪力で何倍にもお返しされる。
「それは、お互い様ですよ〜?」
 だから、千里は最初から、みぎりに対して全力で攻撃を叩き込んだ。
 みぎりも、3回に1回くらいは攻撃を返してきて、千里の体に傷痕を刻み込む。
「はぁ……ふぅ……呆れた頑丈さだわ……んっ!!」
 大技を連続で繰り出す千里の疲労は、みぎりの比ではない。
 今も、みぎりにエルボーで攻撃して、距離を空けると同時に裏拳で殴りつけた。
「あんっ……いたい〜!!」
 みぎりの反撃は、また平手。こんな簡単で単純な攻撃も、みぎりが使えば必殺技と呼べる破壊力を持つ。
「不用意すぎます……はっ!!」
 平手を避けて懐に潜り込み、足を取って、首に腕を伸ばす。みぎりの体を投げるのは、千里の力でも難しいけれど、こうした隙を狙えば可能なはずだ。だが、足を取ったのとは逆の腕が、みぎりの首を掴めない。かろうじて、指が引っかかるだけだ。
「あ……何を、したいんでしょう?」
 抱きついてきた千里を、怪訝な表情で見下ろすと、顔面を狙ったエルボー。丁度いい位置にあった顔を、ガツンと殴りつける。
「あっ……ぐっ……げほ…こふっ!!」
 ふらついて、後ろに下がる千里の鼻から鮮血があふれ出し、突然の鼻血が気道に入って、思わず、咽てしまう。
「ああ、投げたかったんですね〜。でも、焦りすぎはダメですよ〜」
 千里の誤算は、みぎりの体が大きすぎて、目算を誤って、手が届くと思い込んでしまった事と、みぎりが想像以上にしっかりと、足を踏ん張っていた事。そして、千里には、全力で腕を振りぬいているように思えた張り手が実は、みぎりにとってはそれ程力を入れたものではなかった事だった。
「そういえば、これ……痛かったんですよね〜……えいっ!!」
 隙だらけの千里が、慌てて構えると、防御の上から見様見真似のハイキック。身長差のおかげで、それ程高く足を持ち上げなくてもいいが、それでも慣れない攻撃だから、みぎりもバランスを崩してしまう。
「っ………がっ……!!」
「きゃんっ……!!」
 太い丸太で、ガードしている腕を思い切り殴りつけられたような衝撃に、千里の体は一たまりも無く倒れ、みぎりも大きくバランスを崩して尻餅をつくように倒れこんでしまう。
「あぅ……失敗してしまいました」
 お尻をさすりながら、のんびりとみぎりが立ち上がっても、千里は立ち上がってこない。

288 :てみた:2008/11/27(木) 07:37:29
6.


「あら〜……どうかしました〜?」
 みぎりが、千里の様子を確認しようと近付くと、そこは鼻血が飛び散り、真っ赤に染まったマットの上で、腕を押さえて苦悶に呻く千里の姿があった。折れてはいない様子だが、みぎりの怪力で蹴り飛ばされた腕は、既に赤く腫れあがってしまっている。
「あ……あぁ……あぐ……っ!!」
 腫れた腕を庇うように抱きしめ、千里は出来るだけみぎりから離れようと、這うように移動を始める。その動きは微々たるもので、亀の歩みよりも遅い。
「あ、逃げようとしてもダメですよ〜」
 普通なら、千里の姿を哀れんで見逃すか、試合を中断してドクターを呼ぶくらいの、酷い姿だったが、みぎりはそういった空気が読める娘ではない。
 千里の、尻尾のような長い髪を掴むと、強引に、引っ張り起こしてしまった。
「あっ……いっ……や……あひっ!!」
 髪の毛を引っ張られる痛みなら、まだ耐えられるかもしれなかったが、みぎりの怪力で引っ張られたものだから、千里の体重が、髪の毛で支えられるような形になり、首と頭皮を激しい苦しみと痛みが襲う。
「ちゃんと、試合してくれなくちゃ……そういうお仕事なんですよね〜」
 千里の髪を掴んだまま、みぎりが顔を覗き込む。千里の顔は血でべったりと汚れて、涙や、咳き込んだ時に溢れた唾液でぐちゃぐちゃだ。元の端正な顔立ちは、面影くらいしか残っていない。
「だから……えいっ!!」
 髪の毛を手放さないまま、みぎりは頭を大きく後ろに引いて、しっかり力を溜めてから、ヘッドバットで攻撃する。
「あっ……は……ああっ!!」
 ガツンッ
「ひぐっ……ぅ……ぁ……ぁ……」
 骨同士がぶつかる音が響き、千里の体が振り子のように前後に揺れる。
「もう一度です〜!!」
 二度目は、髪の毛から手を離して、千里の頭をしっかり両手で抱え込んで、衝撃がどこにも逃げないように。
 ゴッ……!!
 まるで、岩の塊が叩きつけられたような鈍い音が響いて、千里の額からは血が流れ出す。
 みぎりが手を離すとそのまま崩れ落ちて、千里は既に意識を失ってしまっていた。

289 :てみた:2008/11/27(木) 07:43:41
7.


 レフェリーが慌てて駆け寄って、千里の怪我の具合や状態を確かめようとする。
 ヘッドバットとは思えない音を聞いたせいか、いつに無く取り乱してしまっている。千里がピクリとも動かないのは、本当にただ意識を失っているだけなのか、ひょっとしたら命に関わるのではないかと。
「あの〜、まだ、フォールはしてないですよ〜?」
 だが、そんなレフェリーの肩が後ろから掴まれると、足がマットから離れてしまう。
 一瞬の浮遊感を感じた後、レフェリーはロープにもたれるようにして座り込んでいる自分の姿に気が付き、固まってしまった。
 みぎりに、投げ飛ばされたのは分かるが、片腕で、人間一人の体を軽々と放り投げるような化け物の邪魔をするなんて、何をされるか分からない。
 蛇に睨まれた蛙ではないが、体がすくんで動けない。
 そしてそれは、レフェリーだけではなかった。
「早く、起きてくれませんか〜?」
 千里の体を持ち上げると、頬を叩いて意識を戻させようとする。
「ラッキーで勝つのも、いいんですけど〜、ちゃ〜んと実力で勝たなくちゃ意味が無いんですよ〜」
 何度か叩いていると、千里の意識が少しずつ戻ってきて、目が薄っすらと開かれる。
「あ、起きましたね〜」
 千里が目を覚ますと、その体を突き飛ばして距離を取る。当然、千里は倒れてしまうが、それでようやく、意識が戻った。
「ん……あ……ああ……」
 みぎりのヘッドバットで、叩き潰された時の記憶も一緒に蘇り、顔を真っ青にして恐怖に震える。
「あの〜、起きたのなら、勝負して欲しいんですけど〜」
 そんな千里の様子を見下ろしながら、困ったような顔。
「一番強い人を倒さなくちゃいけないんですけど、これじゃあ、倒す意味がありませんね〜」
 強い相手と戦いたいなんて言う柄ではないが、強い相手を倒せば社長が喜んでくれる、そう思い込んでいるみぎりにとって、折角見つけた強いと思った選手に、こんなつまらない負け方をされるのは大問題。自分の強さを棚に上げて、千里にはもっと強そうなまま負けて欲しいと思っていた。
「はぁ……何で…………私を……」
 みぎりの身勝手な、難しいことは何も考えていない単純な考えの、獲物に選ばれてしまったのがなぜ、自分なのか、やっぱり、納得がいかない。強い選手なら他にもいくらでもいるし、その選手達がみぎりと戦ったという話は聞いていない。だが、みぎりの答えは、とても簡潔なものだった。

290 :てみた:2008/11/27(木) 07:45:06
8.


「社長が、潰して来いって言ったからです〜♪」
「………そんな、理由……」
 もう、何度か聞いた理由だったが、みぎりの所属団体のトップが選んだ団体の中で、一番強かったから、自分がみぎりの標的に選ばれた。アメリカで戦っていたからとか、そういうのは選考基準の一つにはあったのかもしれないが、初対面でも、みぎりにとっては関係の無い事だったのだろう。
「はい〜、一番強い選手を倒すのが、その団体を潰す手っ取り早い方法だって、聞きましたから〜」
 みぎりの手が、千里の腕に伸びる。先ほど、みぎりの蹴りをガードして、腫れたほうの腕だ。
「だから、もう戦えないのなら、潰れていただきますね〜」
 ミシリ……骨が軋む音と、激痛に、千里が悲鳴を上げようとした瞬間、重力から解き放たれたような浮遊感を感じる。
「ひっ……えっ……ひやぁああっ!!」
 みぎりの頭の上、マットから2m以上高い場所。何て言うことは無い高さのはずのその場所が、まるでビルの屋上のように、絶望的な高さに感じる。腕を掴まれ、反対側の手で体を支えられて、高々と持ち上げられた。
「では、行きますよ〜♪」
 持ち上げたら、後は落とすだけ。難しい技術も何もいらない、みぎり向きの技だ。
「あっ……やめ……やめて……うそ……やめ…………死ぬっ!!」
「大丈夫ですよ〜。人間、誰でも一度は死ぬんですから〜……えいっ♪」
「っ…………うぐぅうううううっ!!」
 軽いかけ声は、直後に響いた轟音でかき消され、ちさとの体は背中からマットの上へと叩きつけられた。
 叩きつけられた体は、マットの反発力で浮き上がり、20cm近くは浮いてから、もう一度マットの上に落ちた。
「じゃあ、止め、行きますね〜……歯を、食いしばってください〜!!」
「げほっ……ごほっ……ごふっ……!!」
 鼻血が残っていたのか、それとも、口の中をきったのか、血の混じった唾液に咽せる千里の喉目掛けて、高々と振り上げられたみぎりの足が、断頭台の刃のように落ちてくる。
「っ……ごふ……」
 その一撃で、千里の意識は完全に闇に落ちていった。
「あら〜、だから言ったんですけどね〜」
 足を乗せたまま、まだ固まったままのレフェリーの方を見る。
「あの〜、カウント、まだですか〜?」
「ひっ……あ……はい……」
 みぎりに従うように、慌てて千里の傍に駆け寄ると、思ったよりも惨い千里の姿に、レフェリーの奥歯がかみ合わず、カチカチと音を立てた。
 近付いて始めて気付いたが、千里の股間には大きな染みが出来ていて、水溜りが広がっている。落下の恐怖か、痛みか、みぎりの足で気道を塞がれてしまっているからか、それとも他に理由があるのか、どれが原因かは分からないが、慌てて、視線を反らし、カウントを数え始める。
「そういえば〜、明日からの試合では、誰が私の相手をしてくれるんでしょうね〜」
 一番強い千里はこの有様だから、みぎりに勝てそうな選手は、多分ここにはいないのだろう。だが、まだ後7日間も残っている。
「どんな人がいるのか、楽しみですね〜」
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