621名無しさん:2010/02/18(木) 19:50:24 ID:Pwu67Kvc
ミミ吉原vs伊達遥

都内某所・地下闘技場。
欲望を剥きだしにした人々の熱狂が渦巻くこの闇のコロシアムにおいても、この日の盛り上がりは一種異様であった。
闘士たちの果てしなき闘いが呼び起こすカタルシスがこの闘技場の興奮の主成分であるが、この日は偶像の堕落を心待ちにするような、悪意に満ちたどす黒い期待感を孕んでいた。
それもそのはず。今このリングに立っているのは、あのミミ吉原。新日本女子プロレスの重鎮。
マット界の盟主が、地下のリングに本格的に挑んできたのである。
そして、この闘技場の観客達が期待すること、それは、表では決して有り得ない事件――――――盟主の失墜に他ならなかった。

地下の猛者共をことごとくなぎ倒してきた伊達の豪脚が、唸りをあげて吉原に迫る。
しかし、一撃必倒の威力を秘めたハイキックは、吉原の側頭部を捉えるその寸前で横殴りに叩き落される。
次の刹那、鈍い痛みが走った。
ボディブロー……いや、正拳突きと呼ぶにふさわしい拳の連弾が、伊達のボディを打ち据える。

「か……ふぅっ……!」

苦しげに息を漏らすと、体を折って後退する伊達。
苦痛に歪んだ顔をあげると、不安げな視線を送る。
その視線の先には、しっかりと腰を落とし、美しい残心をとる吉原の姿があった。
『関節技の魔術師』という二つ名からは想像も付かないその立ち姿。エメラルドグリーンのコスチュームには少々似つかわしくないような古風な構えは、しかし、実に馴染んで見える。
半身に構えなおし、深く息をすると、吉原はゆっくりと伊達に向かってにじり寄った。
全身から発するプレッシャーが、伊達をじわりじわりと追い詰めてゆく。

「ッ……シィィィッ!!」

重圧を振り払うかのように鋭く息を吐き、その長い右脚をムチのようにしならせる伊達。リーチを生かし、吉原の射程圏外から放たれるローキック。しかし、その瞬間、吉原は一気に間合いを詰める。
間合いを詰めることでキックの威力が最大限発揮される距離を潰し、無力化したのである。
そのまま、吉原は窮屈な体勢の伊達の脇腹に、中段突きを叩き込んだ。

「ごふぅっ………!!」

息を詰まらせ、打たれた脇腹を両腕で抱え込むと、伊達はガクンと腰を落とした。

「さぁ、どうしました? 『裏』の強さ、見せてくれるのではなかったのですか?」

油断なく眼光を飛ばしながら、吉原はふたたび構えを半身に戻した。

元々、吉原は全日本空手選手権3連覇中の現役王者という肩書きを引っさげてプロレス界に殴り込んだ、いわば外敵であった。
しかし時の王者・パンサー理沙子に敗れたことで、プロレスラーに転身する決意を固めたのである。
そして、プロレスラーとして大成するためには打撃に頼っていてはいけないと考え、空手技を封印。グラウンド技術の習得に血道をあげてきた。
幸運なことに、彼女には関節技の才能があったらしく、頭角をあらわすのにそう時間はかからなかった。
その切れ味鋭い関節技から、いつしか『関節の魔術師』と呼ばれるようになったのである。
以来、吉原はグラウンドを主体に試合の組み立ての妙で魅せるスタイルを貫き、打撃を前面に押し出すことは決してなかった。
だが、今このリングに立っている吉原は、空手技を使うことにためらいを見せない。
魅せる必要などない。プロレスとはいえ、ここは裏のリング。つまり果し合いなのだから。
相手を叩きのめす。勝利以外許されないこの局面で、カードの出し惜しみなどしてはいられなかった。

深いダメージを負いながらも、逆転を図り打撃を繰り出す伊達。今だキレを保ったままのラッシュが吉原に殺到する。
だが、放たれた手足は命中することなく全てはたき落とされ、防壁を失った体に無数のカウンターが突き刺さる。
またもや体を丸め、腰を落として後退する姿に、地下闘技場の上位ランカーの威厳は感じられない。

「この程度の実力で噛み付いてくるなんて……祐希子や菊池があれだけ手酷くやられたから、覚悟を決めてきたのだけど……思い過ごしだったようですね」

そう吐き捨てる吉原。しかし言葉とは裏腹に、彼女は手詰まり感をおぼえていた。
この伊達遥というレスラー、想像以上にタフだ。あれだけ打ったのに、動きそのものは衰えを見せていない。
何より、攻める姿勢が全く揺るがないのだ。胚が据わっているといえばいいのか。
それに、伊達の重い打撃を捌き続けるのもそろそろ限界だ。肉体的にも精神的にも、疲労がきつくなってきている。
おそらく、このまま仕留め切るのは難しいだろう。それほどの決意を感じる相手だ。
……グラウンドか。
吉原の頭脳が決着への筋道を組み立てだした。

622名無しさん:2010/02/18(木) 19:51:28 ID:Pwu67Kvc
「さて……泉のやつ、そろそろ決める気だね」
そう呟くと、セコンドの六角葉月は肩に掛けたタオルを軽く握り締めた。
いい感じに試合は進んでいる。このままなら吉原の勝利は間違いない。
相手の打撃は全て空回りさせているし、焦ってくれれば関節技も掛けやすくなるというものだ。
(それにしても…………)
だが葉月は、何ともいえぬ違和感を覚えていた。
それにしても、何故、あの相手は攻めの姿勢を崩さない?
よっぽど打たれ強さに自信があるのだろうか。まああれだけカウンターを喰らってまだ鋭い動きができるのだから相当なものなんだろうが。
まだある。カウンターは、打撃だけではない。まさか『関節技の魔術師』の異名を知らないわけでもあるまいに。
タオルを握り締める手が、自然と固くなっていくことに葉月は気が付かなかった。

一直線に踏み込むと、弾丸のような右正拳突きを繰り出す吉原。後の先を狙い続けた今までとは打って変わって、先手を打つ。
鳩尾を狙った一撃だったが、ややモーションが大きく、伊達に受け止められ下向きに流される。右の側頭部ががら空きだ。

「………もらった……!!」

この試合初めてのチャンスを逃すまいと、伊達の左脚が閃く。吉原の頭部を軌道上にしっかりと捉えたハイキックが、美しい弧を描き空間を切り裂く。
しかし、そこにあるはずだった吉原の頭は既にそこから掻き消えていた。

「やはり、喰いつきましたね……!」

得たり、といった声色の呟きが聞こえたその先。空手の構えを解き、重心を落としてレスリングスタイルに切り替えた吉原が、伊達の左サイドからタックルを仕掛ける。
ハイキックの空振りでバランスを崩していた伊達をいとも簡単に引きずり倒すと、そのままサイドポジションに付く。
長い手足をじたばたさせて抵抗する伊達。打撃系の選手の例に漏れず、グラウンドは苦手のようだ。
(できれば、チョークで落としたいんだけど……)
試合を決めるという意味で、チョークスリーパーほど決定的な技はない。意識を断ってしまえば、相手を完全に無力化することができる。
しかし伊達のほうもそれは十分承知しているようで、下手ながらも首だけは絶対に差し出さないように体をよじる。
(ちょっとこれは難しそうね。なら……)
伊達の顔面に鉄槌を落とし注意をそらせると、ガードをしようと持ち上げたその右腕をとる。コの字型に固められた腕を、キリキリと締め上げてゆく。
教科書どおりのチキンウィングアームロックが極まり、吉原は余裕の表情で伊達に問いかけた。

「もう逆転の目はないわ。負けを認めて、このリングから降りなさい。さもなければ……」

「……折ればいい……ッ」

「……なんですって?」

「それで勝てると思うなら、折ればいい……ここでは勝利こそが全て……ためらう理由なんて、どこにもない…………!」

そこまでの覚悟か……驚きに目を見開いた吉原だったが、有難い、とも思った。元より手加減する気はないが、相手を壊すというのはやはり心に負担がかかる。
しかし壊される覚悟を持った相手であれば、その重荷も幾分は軽くなるというものだ。

「そうですか……それなら遠慮は要りませんね……恨まないで………ッ!」

心を決めるかのように息を吸い込むと、吉原は伊達の右腕を人間の肩関節の可動域を越えた方向へと捻り上げていった。

623名無しさん:2010/02/18(木) 19:52:55 ID:Pwu67Kvc
腱が引き絞られるキリキリという音が伝わる。関節の限界を越え、肩の骨がくっきりと浮き出る。
破滅への音を奏でながらも、吉原の心に不安が忍び寄った。

何故、折れない?

これ以上はないというくらいに締め上げているのに、伊達の肩に浮き出た骨ははっきりと限界を告げているのに、折れる気配が全くないのは何故だ?
いや、折れるどころではない、脱臼の感触すらないのはどうして?
知らず知らずのうちに手加減をしているのか? 微妙に極めるポイントがずれているのか?考えれば考えるほどわからなくなってくる。
いや、このままでいいのだ。絶対的に優位なのは自分だ。不安を振り払うかのように、吉原はかぶりを振った。
ロックしている腕にさらに力を込め、捻り上げる。顔面が真っ赤に紅潮してゆく。
にじみ出た汗が、吉原の赤く染まった頬を伝った。


「……一体どうなってるんだい、ありゃあ」
葉月もまた、リング上で起こっている異常事態を察知し、動揺していた。
リングサイドからでもはっきりとわかる。アームロックは完璧だ。吉原に何のミスもない。
しかし。
今リング上では、吉原が必死の形相で腕を折りにかかっているのに、伊達はそれを平然と受け止めているように見える。
やせ我慢しているという風にも見えない。むしろ余裕さえ感じるくらいだ。

「まずい。これは、まずいね……。」

葉月は、状況がどんどん悪化するのを感じていた。
このグラウンドでの攻防で、吉原の体力はどんどん削られていっている。極まっているはずの技で仕留められないことでムキになって力を込めているが、これでは疲れるだけだ。
そもそも、体格で勝る相手を押さえつけるだけでも重労働だし、あのリーチを極めるのもキツイものだというのに。
それにしても、わからない。
あれだけひん曲げられて、折れもしなければ外れもしないというのは…………。

――――――――――――二重関節。

そんな言葉が唐突に閃いた瞬間。

「泉ぃぃぃぃぃっ! アームロックを解けぇぇぇぇぇっ!!」

葉月は思わず叫んでいた。自分のうかつさに、思わず拳を震えるほど強く握りこむ。
罠だった。グラウンドに引きずり込んだんじゃない、グラウンドに誘われたんだ。
何故気が付かなかった―――!! セコンドとしての後悔が、葉月の全身を刺し貫いた。

「…………気付いたみたい。でも、もう遅い……!!」

葉月の叫び声を耳にし、伊達はニヤリと笑みをこぼした。
顔をクシャクシャにして力を込めている吉原の姿を満足そうに眺めると、その体を持ち上げ、上体を捻る。それだけで、極められていた右肩の骨がグルンと回転した。
突然のことに力の行方を失った吉原の両腕を外すと、右腕をこともなげに伸ばしてみせる。

「なッ…………!!」

まさに絶句。完璧なアームロックを、散歩にでも出かけるかのような気軽さで外されると、あまりの事態に隙だらけになった体をそのままグイと押し戻され、スタンディングに戻されてしまう。
二の句が告げない吉原。一体何が起こったのか、頭の中はひどく混乱している。
有り得ない。今の肩の動きは人間の可動域では考えられない。
しかし実際に伊達は人間離れした柔軟さでアームロックを外し、今目の前に立っている。

624名無しさん:2010/02/18(木) 19:54:27 ID:Pwu67Kvc
「……種明かし、してあげるね。私は、二重関節。人よりも関節が柔軟なの。だから、私に関節技は通用しない……」
「!!…………二重関節……話には聞いていたけど、まさか、貴方が……!」
「貴方がこんなに打撃が強いなんて、思わなくて……グラウンドで、疲れさせるしかなくって……でも私、引き込むのが下手だから……なんとかして、貴方から仕掛けてきてもらいたかった……」

そうか、そういうことか…………!! 吉原は全てを理解し、唇を噛み締めた。
おそらくは開始数分で腹をくくったに違いない。打撃では勝てない。しかし、組み付けそうでもない。ならば、覚悟を決めるしかない。打撃によるKOはない、と思わせるしかない。そうすれば、必ず関節技を仕掛けてくる―――!!
被弾上等の無謀な作戦のようだが、違う。吉原はわかっていた。決意を固めたプロレスラーほど、打たれ強いものはない。
そして、自分はその思惑どおり、意味のない関節技を仕掛け、ひとり必死に力みかえり、無駄に体力を消耗したというわけか。―――なんという愚かさだ!!

「……そういうことだから。もういいでしょ……しゃべるの、あんまり得意じゃないし…………そろそろ、行くね…………!!」

その言葉が終わるや否や、伊達のローキックが吉原の奥足を襲う。

(!速……)

バシィッ!!

乾いた音が、リングに響き渡った。
奥足に伝わる確かな痛み。この試合で初めてクリーンヒットを許した吉原に動揺が走る。
今のスピードは一体なんだ? ここにきて、自分が捉えきれないほどの蹴りを繰り出すほどの力が残っていたというのか?

あれこれ考えているヒマはなかった。
そのままの勢いで脚を大きく振り上げられた伊達の脚が、勢いよく振り下ろされる。
後退して間合いを外そうと試みる吉原。しかし。

「ッッ!!……ぐあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

後退が間に合わず、鉈のごとき重さのかかと落としをもろに左肩で受けてしまう。
全身を駆け巡る激痛。
ピシッという嫌な音とともに、肩甲骨が割れるのをはっきりと感じると、額から脂汗がブワッと吹き出してきた。

「ううっ……はぁ、はぁっ…………くうぅぅぅっ」

荒い息をつきながらも、何とか構えをとる吉原。左肩が壊されているので当然左腕は上がらず、何とも不恰好だ。

(はは…………こりゃ、まいったな……)

今更ながら、吉原は自分の失策を噛み締めていた。
さっきのローキックもかかと落としも、自分の感覚を越えるスピードで襲い掛かってきた。
だがそれは、伊達の攻撃が急激に速くなったことを意味しない。
自分が疲れすぎているのだ。グラウンドでアームロックに固執して無駄に力を使いすぎたことで、対応力が著しく低下している。
加えて、相手はあの時、ただじっとしていればよかった。自身の特異体質を信頼して、あれこれ動かず、ただその身を横たえていればよかった。
それまでの疲労も、ダメージも、随分と回復したことだろう。
片やガス欠寸前、片や充電完了。優劣は誰の目にも明らかだった。

625名無しさん:2010/02/18(木) 19:55:31 ID:Pwu67Kvc
「シッッッ!!」

風を切る音が聞こえてきそうなほど勢いのある左ミドルキックが、吉原の脇腹を襲う。
やはり、これもとてつもなく速く感じる。とても回避などできそうにない。
肘を上げ、形だけでもガードの体勢をとる。
しかし、肩に力の入らぬ今、それはたかだか紙一枚を防壁として貼り付けるのに似た行為。
その紙一枚の防壁は、ただの一撃で簡単に破られた。

「ふぐううぉぉぉぉぉおおっ!!」

打ちぬかれたその肘ごと、脇腹を深々と抉られる。
こみ上げてくる嘔吐感とともに、腹の底から搾り出すような悲鳴をあげる吉原。

(ッ……!! これ、まず…………)

腰が落ち、そのままリングに崩れ落ちそうになる。このまま倒れてしまえればいいと思えるほどの苦しみが津波のように押し寄せる。
大きく傾いだ体を、それでも、両脚に力を込め懸命に支える。しかし。

「このチャンス、見逃さない……!!」

小さく呟いた伊達が、ここぞとばかりに襲い掛かった。

「うっ!うぐっ、ごほっ!がっ、ぐふっ、ごほおおおおっ!!」

満足な防御もままならないまま、伊達の鋭利な打撃が、吉原の体を切り刻む。
斧のごときローキックが脚をしたたかに打ち、ミドルキックがボディをざっくりと抉り、拳や肘が頭部を打ち抜く。
顔面は見る見るうちに腫れ上がり、柔らかな美貌が見る影もないほど崩れていく。
腿やふくらはぎは痣で紫色に染まり、見るからに痛々しい。

「ぜぃ……ぜぃ……はひ、ひぃ…………」

顎が上ずり、苦しげに息をつく吉原。その姿に、もはや新女の重鎮としての貫禄はない。
焦点のぼやけ始めた瞳。細かく震える脚は頼りなげで、息を吹きかけるだけで倒れてしまいそうだ。
しかしそれでも、右の拳を固く握りこみ、構えをとって見せる。
誰が見ても敗北は必至な現状だということは、吉原自身理解していた。だからと言って、試合を投げ出すわけにはいかない。
脳裏に浮かぶ、後輩達の姿。天真爛漫で食いしん坊のエース。その周りをいつもくっついて回っていた、小さい体に元気をいっぱい詰め込んだ少女。
日常だったその光景を奪った連中に屈するわけには行かない。彼女たちの無念を晴らすまで、倒れるわけにはいかない。

(私は、私たちは…………)

残った力を振り絞り、足腰に力を込めて突きの体勢を整えると、吉原は咆哮した。

「負けるわけには、いかないのよおおおおおおおおおおっ!!」

626名無しさん:2010/02/18(木) 19:57:20 ID:Pwu67Kvc
全身全霊をかけた正拳突きが、真っ直ぐに伊達の鳩尾に向かって吸い込まれていく。
しかし、吉原が打突の衝撃を拳に感じることはなかった。
カウンターのナックルパートが、吉原の顔面を押し潰す。

「あ…あっ………?」

たたらを踏んで後退する吉原に休ませる暇を与えることなく飛び掛る伊達。
その首根っこを引っ掴んで首相撲に持ち込むと、そのまま思い切り膝を振り上げる。

「げぼおおおぉぉぉぉぉぉっっ!!」

長身の伊達が繰り出したニーリフトが、文字通り吉原の体を宙に持ち上げる。さながら破壊槌のごとく突き立てられた膝は、背中にまでその形が浮き出るようだ。
臓器が崩れるような感触とともに、鈍い痛みが疫病のように全身に広がる。
伊達は膝を引くと、後退して間合いを取り、ダメージを値踏みするかのような視線を投げかける。
吉原は目を見開きしばらく口をパクパクとさせていたが、

「ぐぶっ、おごっ、おぼおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」

腹を抱えこむと、こらえきれずに胃の中のものを逆流させた。
吐瀉物を撒き散らしながら、ゆっくりと前のめりに崩れ落ちる。
落下する吉原の顔面を出迎えたものは、しかし、リングを覆うラバーの感触ではなかった。

170pを越える長身を縮ませ溜めを作り、スペツナズナイフのように勢いよく左脚を突き上げるトラースキックが、吉原の顎をぶち抜く。

「あ……がっ………」

鈍い音が響き、吉原の頭部がガクガクと揺れる。
上体を大きく仰け反らせると、迸る鮮血と吐瀉物が二重のアーチを描いた。
崩れ落ち行く体を無理矢理跳ね上げられ、ロープ際まで横倒しに滑っていく吉原。
力なくその身を横たえるその姿に、闘技場中の誰もが決着を確信した。

「ふ……ぐっ、ぐうぅぅぅっ、ふぅっ………」

しかし、吉原はまだ終わってはいなかった。
身を起こし、闘いに何とか戻ろうとする。
右腕一本でロープを手繰り、のろのろとその身を持ち上げていく。
なんというレスラーだろう。散々打ちのめされ、血と吐瀉物に塗れてもなお、勝負を諦めないのか。
壮絶ささえ漂わせるその姿に観客は一瞬息を呑み、

歓喜を爆発させた。

それは、吉原の健闘を称えるとか、そういった心温まるものではなく。
目前の落ちた偶像を、更なる地獄へ突き落とすことができるという。
ある種の情欲にも似た悦楽の叫びに、闘技場が揺れる。

どす黒い歓声が渦巻く中、やっとのことで立ち上がると、吉原はトップロープにもたれかかった。
リングを見渡し、待ち構えているであろう相手の姿を探そうとするが、目が霞んで良く見えない。

(…………どこ、なの……いったい、どこに……)

乳白色の霧に覆われたような視界。その奥から、ぼんやりとした人影がこちらに近づいてくる。

(あ……いた…………みつけたわ…………)

人影は次第に像を結ぶ。すらりとした手足をした、大柄な少女が走り寄ってくるのがわかる。

(さあ…………いらっしゃい……わたしが、あなたを…………)

少女は吉原の眼前で大きく跳躍し、そして。

世界が暗転した。
その直前、上空を何かが舞ったような気がしたが、もはやどうでもいいことだった。

627名無しさん:2010/02/18(木) 19:58:23 ID:Pwu67Kvc

膝のかわりにロープを利用した変形のシャイニングウィザードが、吉原の顔面を粉砕する。
その頭部は、二階席まで吹っ飛ばされそうな勢いで跳ね上がる。いや、頭だけではない。トップロープを支点として、その体ごと仰向けに持ち上がる。
そして、トップロープにその背中を乗せると、そのままバランスを崩してリングサイドに転落した。
決着を告げるゴングが打ち鳴らされ、ひときわ大きな歓声が闘技場を包み込む。
リングに残ったのは、伊達。そして、血と汗と吐瀉物と……そして、葉月の肩に掛けられていたタオルだった。




リングサイドでうつ伏せに倒れている吉原のもとへ急ぎ駆け寄ると、葉月は介抱のため吉原を仰向けにし、そして顔をしかめた。

「ぁ゛…………ぁ゛……ぅ゛ぁ……ぁ゛…………」

整った鼻筋は無惨に叩き潰され、鼻腔からはとめどなく血が流れ出ている。
ガードのままならなかった左側は紫色に腫れ上がって目を完全に塞いでしまっている。すっかり裏返り白目を剥いている右目とはある意味対照的といえるか。
さらに、カエルを潰したような声を漏らす口では、舌が内側に巻き込まれ呼吸を阻んでいる。
このままでは危険と判断した葉月は、とりあえず巻き込まれている舌を引っ張り出し、気道を確保すると、呼吸と心音を確かめた。
弱々しいながらも呼吸はしているようだ。心臓もちゃんと動いている。やられ方を考えれば奇跡のようなものだ。
これならば救護班が来るまで大丈夫だろう。参戦交渉の際、救命態勢の確約を取っておいて良かった。
介抱を続けながら、葉月は一人ごちた。

「……なぁ、泉。すまないことしたね。あたしがもっと速く気付いていりゃあ、こんな目にあわせずに済んだのに……」

セコンドとしての失策。謝罪の言葉を紡ぐ葉月だったが、次第にその言葉が憤りに震え始める。

「思わず、タオル投げちまった。ここ、タオルは認められないんだったよね。でも、泉をこれ以上壊されたくなかったんだよ……」

あのとき、吉原には既に戦う力など残っていなかった。それなのに……!!
葉月は許せなかった。
不必要なトドメを刺しにかかった伊達が。それを黙認した運営が。下品に喜んだ観客が。

「……どうしてやろうかね。あいつら、本当に、どうしてやろうか……!!」

いつも飄々と捉えどころのない葉月の瞳に、危険な光が宿ったのを知る者は、まだ誰もいなかった。
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